「聞こえない」ってなんだろう

聴覚障害者の喋る声が変なのは何故
 耳が聞こえないから、喋る方法が判らない、これは例えてみれば、日本人がフランス語の発音が出来ないのと同じです。聴いた経験が無い発音は発音出来ません。ですので、生まれつきの聴覚障害者は自分の名前すら聴いた事が無いのです。そのために日本語を獲得するのに非常に大きな困難を伴います。

 聴覚障害者の発声を聴いたらその人がどれくらい聴こえているのかおおよその判断は出来ます。しかし、中には生まれつきの聴覚障害であり、聴力はスケールアウトにも関わらず喋れる人も居ます。これは幼い頃から唇の形と口の奥の形と息の使い方を癖になるまで訓練により、習得した結果です。唇の形と息継ぎだけでは発音になりません。目に見えない口の奥の形、つまり、舌や口蓋、喉の緊張が非常に重要なのです。
 試しに舌を固定して、口パクと息継ぎだけで自分の名前なり、住所を言ってみてください。ろう者と同じ発声になります。また、唇の動きに注意して普通の発音で「い行」と「う行」を言ってみてください。ほとんど唇の動きが無い事が判ります。

健常者(健聴者)からもっとも理解されにくい障害。
 聴覚障害は周りから最も理解しにくい障害です。健常者(通常は健康に聴こえる者として「健聴者」と呼ぶのが普通です。)は耳をどんなにふさいでも耳管から音が伝わり、聞こえてしまう為です音声がどうしても聴こえてしまうので体験する事が難しく、耳が聞こえない事が直感的に理解することが出来ません。これが盲の場合は目をつぶれはその不自由さは直感的に判ります。足の自由を奪ってやれば肢体不自由さが判ります。これらの事は日常的にも健常者が体験するからです。例えば暗い夜道は目の役目が利きません。取りたい物が遠くにある場合は足を使わずにその場所まで行く事の困難さは健常者でも足の怪我をした体験は普通ありますからその困難さは理解出来ます。しかし、聴覚障害の経験は普通の人は風邪をひいて、鼻をかみすぎ、鼓膜を破って、耳がポコポコした経験位で、完全なろうの状態は体験が難しく、直感的にその不自由さを感じる事が難しいのです。

 因みに聴覚障害を経験する方法をお教えいたしますと、まず耳栓を用意して、ギュッと耳に突っ込んでください。まだ聴こえますね。鼻と口から耳管を通ってくる音が鼓膜を裏側から振動させるためです。例えてみれば、糸電話を飲み口側からではなく、反対の底の部分から話し掛けている状態です。次に耳をすっぽり被せるタイプのヘッドホンをつけて下さい。後はボリュームいっぱいに回し、FMラジオの無受信状態の「ザー」を聞いてください。この「ザー」が耳管から伝わる音を掻き消します。この状態で音楽を聴くなり、友達と会話してみるなり試してください。殆ど聞こえない状態で、友達との会話が困難です。この実験は機器の出力によっても違いますが、普通のヘッドホンステレオの場合、大体70デシベル減であり、具体的には10の7乗、つまり、百万分の1元の音よりも聴こえない状態です。

聴覚障害の聞こえ方は様々
 聴力は字のごとく「聴く力」と書きますが「聴き取る力」とは区別してください。聴覚障害はさまざまなパターンがあります。騒音の職場で耳栓をしているろう者も沢山います。なぜそのような事が起こるのでしょうか。耳はセンス、つまり、感覚器官です。通常の人ならば、例えば「ラ」の音を聴いたら「ラ」に聞こえます。しかし、聴覚障害者の中には「ラ」の音を聴いて「ド」に聞こえる人も居ます。これは聴覚神経の繋ぎが間違って起こる障害です。聴覚神経の細胞は非常に繊細で2万あると言われています。これだけあるおかげで、普通の健聴者は、ピアノの「ラ」とバイオリンの「ラ」の違いが判るのです。楽器は「ラ」を出しても、実際には「ラ」だけを出している訳ではありません。「ラ」の音が際立って多いのであって、他の音の成分も混じっているのです。この混じりによって楽器独特の音色が発生し、楽器の区別が出来るのです。実際に正弦波(サインカープ)により、純粋な混じりの無い「ラ」の音を聴いたら頼りない音に聞こえます。人間は普段雑音の中で生活をしている為に純粋な音の周りに無意識に雑音を欲しがるのです。その雑音の組み合わせにより、バイオリンと判り、ピアノと判り、トランペットと判り安心感を得るのです。しかし、聴覚障害者の中には「ラ」の音を「ド」に聞こえる人もいます。「ミ」に聞こえるひとも居ます。単純に聞こえの反応がズレテイル人もいれば、ひっちゃかめっちゃかに繋がっている人もいます。つまり、聴覚神経の繋ぎ間違いですので聴覚障害者の数だけ聴こえのパターンは存在します。

伝音性難聴と感音性難聴
 糸電話をイメージしてください。糸電話は糸をピンと張り、コップに耳をあて、片方はコップに話かけて電話ごっこをして遊びます。伝音性難聴はこの糸電話のコップの部分が壊れている場合、感音性難聴は糸の部分が壊れている場合に相当します。

 伝音性難聴は鼓膜から、つち、きぬた、あぶみからなる耳小骨をとおり、蝸牛につながります。ここまでが音、つまり空気の振動を振動としてそのまま伝える部分です。この伝音性難聴は糸電話のコップが壊れている事に相当するので、コップをもっと振動させるなど、補聴器のサポートで聞こえを補う事が可能です。

 感音性難聴の場合は、糸電話の糸の部分が壊れている場合に相当します。糸電話の糸がたるんでいる場合を想像してください。音は伝わりませんね。その糸が2万本あると想像してください。その2万本が脳に伝わるのです。2万本もあれば、まともも存在し、異常も存在します。繋ぎ間違いも存在します。これらにより、聴こえたり、聴こえなかったり、曲がって聴こえたりするのです。

ITと聴覚障害(漢字とひらがな)
 IT革命と言われ久しいのですが、世の中情報処理の端末が普及し、ほとんど手書きの文章がお目にかかる事が少なくなってきました。そして、現在殆どの場合キーボードでの入力です。しかし、聴覚障害者がキーボードの入力の際に大きな問題が発生します。文章を手書きする場合は発音を知らなくても字を書くことが出来ますが、キーボードは発音を知っていなければ入力出来ないのです。これらの事は音が聞こえる人には感覚的に中々判らない事です。

 漢字の情報は絵として意味が通じます。しかし、ひらがなの情報は発音の情報で絵としての情報はありません。例えば「星座」と書いたら耳が聞こえない人も判るのですが、「せいざ」と書いてしまったら「せ」も「い」も「ざ」も耳で聴いた経験の無い人は意味が判らないのです。これらの事はろう者の日本語の習得の困難さの根幹の部分なのです。耳が聞こえないから、発音としてどう表すのかが判らない、それ故に発音を入力するキーボードが出来ないのです。ただ、今書いたのは極端な例でして、ろう学校は昔から口話教育主義を行っていて、「せいざ」と書いてその意味が判らないろう者はいないとは言わないまでも非常に珍しいでしょう。しかし、長文になればその困難さは現れてきます。その一方、近年のろう者は携帯電話のメールの普及のおかげで、日本語の力はどんどん上がっています。これは口話教育の賜物と言ってもよいでしょう。